【元消防職員が解説】防災×消防制度|日本消防はなぜ「自治体消防」になったのか

日本の消防は、世界的にも珍しい「自治体消防」という仕組みを採っています。
この制度は当たり前のようでいて、その背景には戦争、敗戦、占領という大きな歴史の転換点がありました。

防災を考えるとき、「なぜ今の消防の形になったのか」を知ることは、自分たちが災害時にどこまで自分で備えるべきかを考える重要なヒントになります。


■① 日本消防の原点は「自分の命は自分で守る」

現在の日本消防は、アメリカ流の考え方を基盤とした制度です。
アメリカ流消防の特徴は、「自治体消防」、つまり地域住民と自治体が主体となって自らの安全を守るという思想にあります。

これは「誰かが完全に守ってくれる」という発想ではなく、「公助には限界があり、自助・共助が前提」という考え方です。
現代の防災でも繰り返し語られるこの思想は、実は消防制度の根幹に組み込まれています。


■② かつての日本はドイツ流消防だった

明治34年頃、日本は軍隊や警察制度をドイツ流へと移行しました。
消防制度もその流れを受け、国家統制の色が強い「ドイツ流消防」へと変遷していきます。

この時代の消防は、現在の自治体消防とは異なり、より中央集権的で、警察と一体化した色合いが濃いものでした。
消防は「治安維持」の一部という位置づけでもありました。


■③ 太平洋戦争と消防制度の転換点

昭和16年、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まり、昭和20年に終戦を迎えます。
この敗戦が、日本の消防制度を根本から変えるきっかけとなりました。

戦時中の空襲被害では、消防力の限界が露呈しました。
中央集権的な体制では、地域の実情に即した柔軟な対応ができなかったのです。


■④ GHQによる消防改革の始まり

戦後、日本はアメリカ軍の占領下に置かれました。
この中で、日本消防の改革が本格的に進められます。

マッカーサー元帥の命を受けて来日したジョージ・W・エンゼル氏の指導により、
消防は警察から分離・独立する方向へと舵を切ります。

これは単なる組織改編ではなく、「消防は地域住民の命を守る専門組織である」という思想の転換でもありました。


■⑤ 消防組織法と自治体消防の誕生

昭和23年、消防組織法が施行され、自治体消防が正式に発足します。
これにより、日本全国で市町村ごとに消防本部が設置される現在の体制が整いました。

この制度の根底には、
・地域のことは地域が一番よく知っている
・初動対応は地元で行うべき
という考えがあります。

防災における「初動の重要性」は、この時代から一貫して重視されてきました。


■⑥ 近代消防を支えた先人たちの思い

昭和43年4月に来日したエンゼル氏と、消防二法の立法に携わった関係者たちは、
「消防は国民のためにある」
「行政に頼りきらない防災意識を育てる」
という強い思いを持っていました。

近代消防昭和43年6月号の特別座談会からは、
制度だけでなく、人の意識を変えようとした当時の熱量が伝わってきます。


■⑦ 防災士・元消防職員から見た誤解されがちな点

現場でよく感じるのは、
「消防が来てくれるから大丈夫」
「行政が全部やってくれる」
という誤解です。

自治体消防の本質は、「消防がいなくても生き延びられる地域をつくる」ことにあります。
消防は万能ではありません。到着までに時間がかかる場面も必ずあります。


■⑧ 自治体消防と自律型避難のつながり

自治体消防の思想は、現代で言う「自律型避難」と深くつながっています。
避難の判断、初動行動、身の安全確保は、最終的に自分自身が決めるものです。

消防制度の成り立ちを知ることは、
「なぜ自分で考え、動く防災が必要なのか」
を理解する近道でもあります。


■まとめ|消防制度の歴史は防災意識の歴史

日本消防は、戦争と敗戦を経て、「自治体消防」という形にたどり着きました。
それは「公助に依存しない防災」を社会全体に根付かせるための選択でした。

結論:
消防は守ってくれる存在であると同時に、私たちに「自分で備える責任」を教えてくれる存在です。

元消防職員として現場に立ってきた経験から言えるのは、
本当に人を救うのは「制度」ではなく、「日頃の意識と判断力」です。
消防制度の歴史を知ることは、防災を他人事にしない第一歩になります。

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