南海トラフ地震という言葉を聞くと、
多くの人は「いつ起きるのか」「確率は何%か」に意識が向きがちです。
しかし防災で本当に重要なのは、
過去に何が起き、どのような被害が出たのかを知ることです。
1944年(昭和19年)12月7日に発生した
昭和東南海地震は、
まさに「南海トラフ地震の現実」を示す出来事でした。
■① 昭和東南海地震とは何だったのか
昭和東南海地震は、
南海トラフを震源とする大規模な海溝型地震です。
・発生:1944年12月7日 13時35分
・震央:熊野灘沖
・規模:マグニチュード7.9
・震源の深さ:約40km
現在の基準に換算すると、
一部地域では震度7相当の揺れが発生しました。
■② 津波による甚大な被害
この地震で特に深刻だったのが津波です。
・尾鷲市:8〜10m
・伊勢湾・三河湾:0.5〜2m
・遠州灘沿岸:1〜2m
・静岡県下田市:約2.5m
沿岸部では街が津波にのみ込まれ、
家屋の流失や漁船の打ち上げが相次ぎました。
津波被害による犠牲者が、
全体の死者数の大半を占めています。
■③ 激しい揺れと建物倒壊
当時は震度計がなく、
気象台職員などの体感で震度が決められていました。
それでも記録から分かるのは、
・木造家屋の倒壊
・神社の灯篭や石造物の転倒
・市街地での広範な被害
現在の耐震基準以前の建物が多く、
揺れそのものによる被害も甚大でした。
■④ 戦争に隠された「隠された地震」
昭和東南海地震は、
戦時中に発生したという特殊な背景があります。
政府は、
「大きな被害があったことが知られると戦況に影響する」
として、
・国による本格的な被害調査を行わない
・国民への情報公開を抑制
・箝口令による情報統制
を行いました。
その結果、
この地震は長く「隠された地震」となり、
被害の実態が十分に共有されませんでした。
■⑤ 被害データが示す現実
後年の調査で明らかになった主な被害です。
・死者:1,223人
愛知県:438人
三重県:406人
静岡県:295人
和歌山県・岐阜県・大阪府・奈良県にも被害
津波と揺れの複合災害であり、
沿岸部と内陸部の両方が被災しました。
■⑥ 連動する南海トラフ地震の怖さ
昭和東南海地震の2年後、
1946年12月21日には昭和南海地震が発生しています。
これは、
南海トラフ地震が連動して起きる可能性を
歴史が示している例です。
「一度起きたら終わり」ではない。
これが南海トラフの最大の特徴です。
■⑦ 地域の記憶を聞くことも防災
昭和東南海地震から80年近くが経ちました。
しかし、
体験した世代や、
直接話を聞いた人がまだ地域にいる可能性があります。
・どこまで津波が来たか
・どこが安全だったか
・どんな判断が生死を分けたか
こうした話は、
ハザードマップ以上に具体的な教訓になります。
■⑧ 今につながる防災の教訓
昭和東南海地震が教えてくれるのは、
・南海トラフ地震は「想定」ではなく「既に起きた現実」
・津波は想像以上の高さと範囲で襲う
・揺れと津波は同時に備えなければならない
という事実です。
■まとめ|過去を知ることが、未来を守る
昭和東南海地震は、
南海トラフ地震の「予行演習」ではありません。
すでに起きた現実です。
結論:
過去の被害を知ることが、最も確実な防災になる
南海トラフ地震への備えは、
確率ではなく、
歴史と現実から考える必要があります。

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