現代の日本は、地震・豪雨・噴火・感染症など、災害が続いていると感じる人が多いでしょう。
しかし歴史を振り返ると、江戸時代もまた「災害が連続する時代」でした。
当時の人々は、医療も防災も十分でない中で、幾度となく「天下大変」と呼ばれる危機に直面し、それでも社会を維持し、暮らしを続けてきました。
この記事では、江戸時代の災害史から、現代の防災に通じる本質を読み解きます。
■① 江戸時代は「3年に1度」災害が起きていた
近年は災害が多い印象がありますが、江戸時代も例外ではありません。
記録をひもとくと、規模の大小はあれど、平均して3年に1度ほど自然災害が発生していました。
地震、噴火、台風、洪水、疫病。
災害は単発ではなく、連続して起きるのが常でした。
■② 富士山噴火と巨大地震が連続した宝永期
宝永四年(1707年)、富士山は大噴火を起こしました。
大量の火山灰は偏西風に乗り、江戸にまで到達し、人々は灰を吸い込み体調を崩したと記録されています。
しかし、この噴火は単独ではありません。
噴火の49日前には、関東から九州に及ぶ巨大地震が発生。
マグニチュード8クラス、津波を伴い、2万人以上が亡くなったとされています。
さらにその4年前には、元禄大地震。
相模湾を震源とし、1万人以上の死者・行方不明者を出しました。
地震 → 地震 → 噴火
これが江戸時代の現実でした。
■③ 災害が「地域の体力」を奪う
連続災害の恐ろしさは、被害そのものだけではありません。
復旧する余力を奪うことです。
小田原藩は、地震被害の直後に火山灰で領地が埋まり、復旧不能に近い状態に陥りました。
結果として、領地の大部分を失うことになります。
災害は、政治・経済・社会構造そのものを変えてしまう力を持っています。
■④ 噴火は飢饉を引き起こす
浅間山の天明三年(1783年)の噴火では、1万5000人以上が死亡しました。
噴火そのものだけでなく、火山灰による日照不足が深刻な凶作を招き、天明の大飢饉へと発展します。
災害は、時間差で人命を奪うこともあるのです。
■⑤ ペリー来航と重なった「安政の大地震」
安政期の日本は、まさに災害の連鎖の中にありました。
・東海・南海地震
・江戸直下地震
・津波
・台風
・火災
これらが立て続けに発生します。
その最中に起きたのが、黒船来航でした。
政局が混乱した背景には、外交問題だけでなく、災害対応で手一杯だった現実がありました。
■⑥ 江戸の災害対応に見る「支え合い」
安政江戸地震では、幕府は以下の対応を行いました。
・大名・旗本への無利息貸付
・御家人への扶持米支給
・町人向けの救済小屋設置
完璧ではありませんが、公助と共助が機能していたことがわかります。
■⑦ 災害は社会不安を増幅させる
安政期には、地震・台風・疫病が重なり、人々の不安が限界に達しました。
コレラの大流行、政治的混乱、凶作が続き、最終的に民衆の感情は爆発します。
それが「ええじゃないか」騒動でした。
災害は、人の心を揺さぶり、社会を動かす力を持っています。
■⑧ 現代防災への教訓
江戸時代の「天下大変」から学べることは明確です。
・災害は単発では終わらない
・復旧途中に次の災害が来る
・社会不安は時間差で広がる
だからこそ、防災は「一回きりの備え」ではなく、
長期的に耐え続ける力=耐災害力が重要になります。
■⑨ 今日できる最小行動
・災害が続く前提で備える
・1週間以上の生活を想定する
・情報に振り回されない判断基準を持つ
これだけで、防災の質は大きく変わります。
■⑩ 歴史は、未来の防災書
江戸時代の人々は、災害から逃げることはできませんでした。
それでも、知恵と工夫、支え合いで生き抜きました。
災害が多い時代は、異常ではありません。 歴史を見れば、それが日本の「平常」なのです。
過去を知ることは、未来を守ることにつながります。

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