【防災士が解説】防災×記憶|「避難しようと伝えることができれば」能登地震・豪雨の追悼から私たちが受け取る教訓

2024年元日の能登半島地震から2年。
さらに同年9月の奥能登豪雨災害と合わせ、718人もの尊い命が失われました。

2026年1月1日、石川県輪島市では県主催の追悼式が行われ、遺族や関係者が雪の降る中、それぞれの思いを胸に祈りを捧げました。

「どうぞ安らかに」
そして多くの人が、同じ願いを心に抱いていました。
二度と、同じ悲しみを繰り返さないために。


■① 避難所でも命は失われるという現実

追悼式で語られたのは、
地震の揺れそのものだけでなく、避難生活の中で失われた命でした。

避難所の内外の激しい温度差。
仮設トイレへ向かう途中での心臓発作。
車中泊後の転倒と、その後の体力低下。

これらはすべて「災害関連死」として認定されています。

災害は、
揺れが収まった後も、命を奪い続けるという現実を突きつけています。


■② 「高台に避難した」だけでは守れなかった命

「一度は高台に避難したが、避難所ではトイレに行くのも難しかった」

これは遺族の言葉です。

避難=安全、ではありません。
避難先の環境、体力、年齢、健康状態によって、
避難そのものが大きな負担になることもあります。

防災とは、
「どこへ逃げるか」だけでなく
「どう生き延び続けるか」まで考えることだと、改めて教えられます。


■③ 「避難しよう」と伝えられなかった後悔

追悼式で遺族代表を務めた中山真さんの言葉は、多くの人の胸を打ちました。

豪雨の日、
姉の携帯に何度も電話をかけ、
「一緒に避難しよう」と伝えたかった。

しかし、電話はつながらず、
その後、姉は帰らぬ人となりました。

「あの時、危ないから一緒に避難しようと伝えられていれば」

この後悔は、決して特別なものではありません。
多くの災害で、同じ言葉が繰り返されています。


■④ 伝える手段を失わないために

中山さんが前を向くきっかけとなったのは、
町野で始まった災害FMでした。

ラジオを通じて、
・生活情報
・避難情報
・人と人のつながり

を届けることで、
「同じ後悔を誰にもしてほしくない」という思いを形にしています。

災害時、
情報が届くかどうかは、生死を分けます。

スマホが使えない時、
ネットが途切れた時、
最後に残るのは「声」です。


■⑤ 防災とは、行動より先に「言葉」を準備すること

この追悼から、私たちが学ぶべきことは明確です。

・避難の判断を、家族で事前に共有しているか
・「危ない時は、迷わず一緒に逃げる」と言葉にしているか
・連絡が取れない時、どう行動するか決めているか

防災は、道具を揃えることだけではありません。
言葉と約束を、平時から準備しておくことです。


■⑥ 記憶を風化させないことも、防災の一部

追悼式で語られた「来年も1月1日に行ってほしい」という遺族の願い。

それは、
悲しみを忘れないためだけではありません。

次の命を守るために、記憶を残す。

私たち一人ひとりが、
この出来事を「過去のニュース」にしないこと。

それ自体が、防災行動です。

能登で失われた命に、心から哀悼の意を表するとともに、
この記憶を、次につなげていきましょう。

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