【防災士が解説】防災×1949年・震度7が設定|“想定外の破壊力”が、日本の震度を変えた

私たちが使う「震度7」。
この最も大きな震度階級は、実は 1949年に新しく設定された

その背景には、
当時の震度階級では説明できないほどの破壊力をもった
福井地震(1948) があった。

ここでは、防災士の視点から、震度7が誕生した理由と防災への教訓を解説する。


■① 震度7は“1949年に新しく作られた階級”

現在の震度階級(0〜7)は当たり前のように使われているが、
震度7は昔からあったわけではない。

● 1949年(昭和24年)に初めて追加
● 福井地震の翌年
● “これまでの震度では説明できない破壊”が理由

→ 震度7は“想定外”を経験した結果、誕生した。


■② きっかけは1948年の“福井地震”

震度7設定の直接の原因となったのが 福井地震(M7.1)

● 木造家屋の9割以上が倒壊
● 鉄筋コンクリート建物も大量崩壊
● 液状化で線路・道路が波打つ
● たった数十秒の揺れで街が壊滅

→ 当時の震度6の想定を完全に超えた破壊力だった。


■③ 福井地震は“地震の揺れの限界値”を見せつけた

当時の震度階級は震度6までだったが…

● 震度6では説明できない倒壊率
● 人々の体感が明らかに別次元
● 学者・技術者の一致した判断

その結果、
“これは独立した階級とすべき” とされ、震度7が誕生。

→ 実体験が震度制度を変えた。


■④ 震度7は“家屋倒壊レベルの最大階級”として定義された

1949年に制定された震度7は次のように位置づけられた。

● 家屋の大部分が倒壊
● 人が立つことは不可能
● 非常に強い加速度
● 重量物が飛ぶ
● 広域で甚大な被害

→ “生活圏が一瞬で破壊される揺れ”が震度7。


■⑤ 震度7の設定後、日本は複数回の震度7を経験

1949年以降も、震度7は何度も観測されている。

● 1995 阪神・淡路大震災
● 2004 新潟県中越地震
● 2016 熊本地震(2回観測)
● 2024 能登半島地震

→ 震度7は“稀”ではなく、“繰り返す現実”になっている。


■⑥ 震度7誕生は“耐震基準の歴史の始まり”

震度7が設定されたことにより、日本の耐震思想が大きく前進した。

● 建物の倒壊基準が強化
● 研究が進み耐震工学が急発展
● 震度と建物被害の関係が明確化

→ 現在の耐震基準の礎をつくった重要な出来事。


■⑦ 現代では“震度7に耐える家づくり”が常識に

震度7は現実に起きるため、家庭でも確実な準備が必要。

● 家具固定(特に寝室)
● 1週間以上の備蓄
● 通電火災対策(ブレーカー遮断)
● ガラス飛散防止
● 耐震診断の検討
● 古い家の補強

→ 震度7前提で備えることが“生存率を上げる唯一の道”。


■まとめ|震度7は“想定外を見た結果”生まれた日本の知恵

この記事の重要ポイントはこちら。

● 震度7は1949年に初めて設定された
● きっかけは1948年の福井地震の圧倒的破壊
● 震度6では説明できない被害があった
● 震度7は“都市破壊級”の揺れ
● その後も震度7の地震は何度も発生
● 現代の家庭防災は震度7前提で整えるべき

震度7の誕生は、
“過去の悲劇を未来に活かす”
という日本の防災文化そのもの。

その精神を受け継ぎ、家庭の備えを確実に強化していこう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました