2024年(令和6年)能登半島地震は、
家屋倒壊・津波・大規模火災・道路寸断・孤立集落多発など、
複合的かつ長期化した非常に過酷な災害でした。
緊急消防援助隊(緊援隊)は全国から多数の部隊が派遣され、
救助・捜索・避難支援・物資輸送・火災対応・家屋調査など、
多岐にわたる活動を展開しました。
ここでは元消防職員として、能登半島地震での代表的な活動事例を解説します。
■① 道路寸断による“孤立集落への進入困難”
能登半島は地形的に道路が限られ、地震で多数の道路が崩落・陥没しました。
緊援隊が実施した活動は、
- 崩落した道路の迂回ルート確保
- 徒歩による集落進入
- 住民の安否確認
- 高齢者・要配慮者の搬送
- 車両不可地点での資機材背負い運搬
車両が使えない地域が多く、
“どう到達するか”が救助の最大課題 でした。
■② 家屋倒壊現場での救助・捜索活動
震度7級の揺れを受けた地域では、木造住宅の倒壊が多数発生。
緊援隊は、
- 倒壊家屋の内部検索
- 下敷きになった住民の救助
- 二次崩落の危険評価
- 手作業と重機の併用捜索
- 余震に備えた安全管理
倒壊建物は大きく傾斜しており、
「近づくだけで危険」な場所が多数 でした。
■③ 津波被害地域での捜索活動
地震直後には津波も発生し、海岸部は被害が拡大しました。
緊援隊が行ったのは、
- 海岸線での漂着物捜索
- 流失家屋周辺の安全確認
- ボートを使用した海上捜索
- 海水による資機材故障への対応
- 住民からの聞き取りによる捜索範囲の特定
津波は「地形を変えてしまう」ため、
捜索の難易度が極めて高い災害でした。
■④ 冬の厳しい寒さとの戦い
能登半島地震は真冬に発生し、
極めて寒冷な環境での活動となりました。
- 低体温症対策
- 防寒装備の強化
- 暖房がない避難所支援
- 夜間活動の制限
- 温かい食事と水分補給の徹底
冬季の災害は「体調管理」が最大の敵です。
元消防職員として、寒冷期の活動は疲労が倍増すると実感します。
■⑤ 大規模火災(輪島朝市)への対応
輪島市の朝市通りでは甚大な火災が発生。
緊援隊は、
- 延焼阻止線の構築
- 水利不足への対応(海水利用など)
- 倒壊建物内での消火
- 消火後の残火処理
- 住民避難の避難誘導
道路が狭く入り組んでいるため、消防車の運用が非常に困難でした。
■⑥ 住民の孤立を防ぐ生活支援
能登半島は高齢化が進んでいる地域で、
住民支援が極めて重要でした。
緊援隊が実施した支援は、
- 水・食料の運搬
- トイレ支援
- 高齢者世帯の巡回
- 移動困難者の搬送
- 薬の確保や連絡支援
“声かけ”や“見守り”が命を守る場面も多くありました。
■⑦ 物資輸送の難航とヘリ輸送の活用
道路寸断で陸路が使えない地域が多かったため、
空からの物資輸送が重要になりました。
- ヘリでの物資搬入
- 孤立地域への空からの支援
- 行政・自衛隊との連携
- 陸路復旧後の車両輸送の再構築
物資が届くかどうかで、避難所や住民の生活が大きく左右されました。
■⑧ 家屋被害調査(罹災証明)の支援
緊援隊は自治体職員と連携し、
家屋の被害認定のための外観調査も支援しました。
- 傾斜家屋の安全確認
- 赤・黄・青の判定補助
- 住民への説明
- 調査しながら安全啓発
地震後の暮らし再建に欠かせない工程で、
地味ですが非常に重要な作業です。
■まとめ|能登半島地震は“アクセス不能との戦い”だった
能登半島地震での緊援隊の活動は、
複合災害に対する日本の災害対応力をさらに強化しました。
- 道路寸断と孤立
- 倒壊家屋救助
- 津波被害地域の捜索
- 冬季の厳しい環境
- 大規模火災への対応
- 住民支援の細やかさ
- 物資輸送の困難
- 家屋被害調査の連携
前例のない条件が重なり、
消防の総合力が問われた災害でした。
結論:
能登半島地震での活動事例は、緊急消防援助隊の“複合災害に立ち向かう力”をさらに鍛えた現場。 元消防職員として、アクセス不能地域での救助は最も難しい任務だと強く感じています。

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